アスタラ(イラン国境)からアゼルバイジャン・バクーへの行き方と移動記
(2017年8月の情報です)
まず、アスタラのイラン側ボーダーの位置がややこしい。
ここ↓
アスタラ発バクー行きのバスは他の人のブログを見てもあるのかないのかよくわからない。
ランカランのバスターミナルで見たこの表によるとどうやらあるようだが、、
バスターミナルの位置はこのブログ参照。
僕はアスタラ発のバスがあるかよくわからなかったので、このあたりの中核都市であるランカランへマルシュルートカで行って、そこからバクー行きに乗った。
国境発ランカラン行きは随時ある。所要30分。ランカラン発バクー行きも上の表によると17時までの間に1時間に一本はあるらしい。ロンリープラネットの記載とも一致する。
ランカラン行きマルシュルュートカの発車場所はこの辺
マルシュはランカラン市街地へ到着。そこからタクシーでバスターミナルへ。
ランカランからバクーへのバスは7マナト。多分荷物代込みだろう。
バスは国道をかっとばし5時間ちょっとでバクーの中心部に着いた。
以下は僕の体験談。
テヘランの西ターミナルからアスタラへ。夜行バスに乗るつもりだったが、テヘランでやることがなく早めにバスタへ行く。
西ターミナルでうろうろしていると、英語のめっちゃできる現地人に話しかけられる。歩きながら話をすると、兵役を終えて故郷のハマダーンへ帰る途中らしい。綺麗な街なのでいつか来てみたらと言われる。
その人にアスタラ行きのチケットを買ってもらう。窓口は英語が通じないのでとても助かった。17時発で460000リヤル。
バスに乗り込んで座っていると、押し売りがやってきてジュースを押し付けてくる。
ちょうど喉が渇いていたので、買ってやる。お金を渡そうとすると、俺が数えてやると僕の札束を奪い、何枚か抜いて返してくる。後で数えると10倍ぐらいちょろまかされていた。
なんてやつだ…油断も隙もならない。押し売りを相手にするのは金輪際やめよう。
アスタラへの道は山を越えるので、時間がかかる。アスタラに着いたのは深夜の1時半だった。
アスタラのバス降り場から市街地へは少し距離がある。バスを降りると、タクシーが何台か待ち構えていて、そのうちの一人に腕をつかまれて無理やりタクシーに連れていかれる。まあ深夜だし仕方なく乗る。70000リヤル、高い…
適当にホテルに行けと言うと、「タクシー運転手オススメのホテル」に案内される。廃墟に近く、ドアをノックすると裸にタオルで歯ブラシを加えたおじさんが飛び出してきてすごく不安になる。しかし12ドルとまあまともな値段なのでそこに決めた。宿泊客は僕以外いなさそうだった。
翌朝撮った写真。写真だと綺麗に見えますがね…
翌朝9時にボーダーへ。ボーダー前でたむろっているタクシー運転手に「チャンチュンチョン!(中国人を揶揄する侮辱表現)」と叫ばれる。アゼルバイジャンのボーダー職員は、日本人やんけ!となぜか好意的だった。
アゼボーダーの外に出ると、タクシー運転手が待ち構えている。その中の1人がずっと付いてくるので無視していだが、オトバスオトバスと言ってくるので、バスターミナルに行くためにそれに乗る。
すると、アスタラからのバスはなくなったからシェアタクして40マナトでバクーまで行ってやると言い出す。一瞬妥協しかけたが、ロンプラを読んだら少なくともランカランまで行けばありそうなので、タクシーを降りる。上に書いたように、無事バクー行くのバスに乗ることができ、2000円浮いた。
アゼルバイジャンでもバクーは大都会だが、それ以外の地域は完全に田舎で、乾燥した草地しか見えない退屈な車窓が続く。
バクーが近づくと、採油ポンプが車窓から見えた。
バクーはまあ都会で治安もよく、久しぶりに気を抜いて歩ける。海風が心地よい。
この日の晩飯。
イスラム圏を抜けたので、ビールが解禁される。
バクーでの宿もまあいろいろ問題ありで、Nastyなロシア人がいたのですが、その話はまた別の機会に…