アルトリアブログ

いろいろ書いています

夜の散歩とロシア人夫婦

(2017年夏にユーラシアを横断した、その時のおはなしです)

 

朝。カメレオンホステルを出て,空港へ向かう。

 

アテネにはたった1日の滞在だったが,特に古代ギリシアに興味があるわけではなく,未練はない。

 

地下鉄で50分,アテネの空港に着く。すぐさまエルアル航空のチェックインカウンターへ向かう。

 

エルアル航空はイスラエルの国営航空で,テロ対策のセキュリティチェックがかなり厳しい。チェックインカウンターの前で鋭い目つきをした職員に,不審な点がないか代わる代わる尋問される。旅程はもちろん,父親の名前とか学歴とかいろいろ聞かれる。手荷物もその場で開けて隅から隅までチェックされる。

 

職員の一人が,日本語を話せた。話せたと言っても,完全な片言で,英語で話す方が早いんじゃないかと思ったが,僕がいくら英語で返答しても,彼はかたくなに日本語を使い続けた。その職員は気難しそうな顔の老人だったが,親日家で,チェックインが終わった後,僕を連れて長蛇の列である荷物検査に来ると,職員権限でガラガラの優先レーンに僕を送り出し,最後には手を振ってくれた。手を振り返して別れる。ここは遠い異国の地,おそらく,この職員とはもう一生会うことはないだろう。僕は,そういうのに弱いのである。

 

テルアビブ行きは,定刻よりかなり遅れて出発する。機内のほとんどは,本国へ帰るユダヤ人のようだ。エーゲ海とその島々を眺めたかったが,残念ながら席が窓際ではなかった。横の席の赤ちゃんが泣き出す。この度でもう3回目だ,なんと運が悪い。ナント勅令。

 

ベン=グリオン国際空港に到着し,入国審査に臨む。イスラエルは入国審査も厳しい。こちらでも旅程とかいろいろ聞かれる。僕が意味不明な英語を話すせいで,職員が明らかにイライラしている。

 

その時,僕のパスポートをパラパラ見ていた職員がでかでかと貼ってあるパキスタンのビザを発見し,表情が極度に厳しくなる。お前はイスラム教徒か?と不穏な質問をしてくるので全力で否定する。Buddistだよ〜と笑顔で誤魔化したが,職員がちょっと考え込んだ後,お前はあっちへ行けと,順路とは反対側の部屋を指さす。入国失敗。

 

別室に行くと,他にも同様の境遇の人が何人か座っていた。一時間ぐらい待ち、ようやく呼び出される。管理職みたいな職員に,穏やかな口調で旅程を聞かれる。まあ日本人がテロリストなわけないもんね。しばらく質問された後,スタンプ代わりの入国カードをもらって無事解放される。入国成功。

 

当たり前だが,入国まで1時間半もかかっているので,当然ターンテーブルに荷物はない。受取場を探し回ったあげく,カウンターみたいなところにキレたらそこにあった。今日はパレスチナの首都ラマッラに行くつもりだったが,結局空港で計3時間近く浪費してしまったので,諦めた。

 

電車でテルアビブ市内へ行く。イスラエルは一人あたりGDPが日本と変わらないので,先進国のイメージだったが,街はかなり汚い。イスラム成分があるからだろうか。

 

エルサレムへは高速バスで行くことにする。日本で事前に買っていた,ヨーロッパ周遊SIMカードの範囲にイスラエルも入っていたので,データ回線が使える。心強い。

 

パス乗り場は,ショッピングモールの中にある。モールの中に入るのに手荷物検査があるし,中にはシェルターがある。戦争が身近であることを実感する。

 

バスは乾燥した大地の中を疾走していく。時々灌漑による農地がある。

 

終点に着く。てっきり旧市街まで行くと思っていたのに,よくわからない郊外で下ろされて途方に暮れる。しかし,前にトラムが走っていたので,一か八かそれに乗る。見事旧市街の入り口であるダマスカス門に到着する。やったね。エルサレムは丘になっていて,旧市街は丘の最上部にある。イエスキリストが処刑された,ゴルゴタの丘である。

 

ダマスカス門では,ガチのライフルを持った兵士さんたちがいっぱい警備している。ダマスカス門から中に入ると,そこはアラブ人居住区で,アラビア諸国顔負けのバザールとなっている。石畳の狭い道の両脇に,所狭しと商店が並んでいる。スパイスの店が多い。

 

人波をかき分けて,予約していたホステルにたどり着く。チェックインしていると,奥のスペースから日本語が聞こえていたが,あまり仲良くなれそうにない人種なので話しかけないことにする。異国で日本語が聞こえてきたときの,非日常から一瞬で日常につかみ戻される感覚が,嫌いである。

 

ドミトリーの部屋はとても天井が低く圧迫感がある。トイレシャワーはとても汚い。後進国のトイレにありがちの,トイレットペーパーを便器に流せず,備え付けのゴミ箱に捨てるタイプなわけであるが,それが溢れかえっている。二段ベッドの上をあてがわれたが,柵がないので怖く,洗濯用のひもで体をベッドにくくりつけて寝た。部屋に冷房はなく,著しく暑い。中は最悪の宿であるが,立地がいいのと,安さを考えると,お得ではある。

 

疲れ切っていたので,部屋で休んでいると,夕食の時間になる。屋上に行き,サフランライスのカレーみたいなやつを自分でよそう。

 

席を探してうろうろしていると,ホステルに似つかわしくないこぎれいな中年夫婦に,ここが空いてるから座りなさいと言われ,お邪魔する。個室に泊まっているのだろうか。会話すると,ロシアから観光で来たらしいことがわかる。セルギエフ・ポサドの近くに住んでると言っていたので,自分も去年行った旨伝えると,話が弾む。相手も英語がそこまでうまくないので,お互いに気後れせず話せる。夫の方は大学で歴史学を専攻していたらしく,エドジダイという日本語を知っていた。食事後,これから夜の旧市街を散歩するから一緒に来ないかと誘われ,of courseと答える。

 

ロビーで待ち合わせ,夜の散歩に出かける。夫の方が,先導して,ガイドブック片手にときおり解説してくれる。キリスト教徒のロシア人にとって,エルサレムを観光することは,日本人が京都の寺社仏閣を観光するような感覚なのだろうか。キリスト教徒居住区とアルメニア人居住区を中心に,狭い路地を歩き回る。夜のエルサレムは昼の喧騒が嘘のような静けさに包まれていた。立ち並ぶ商店は堅く扉を閉ざしており,あれだけいた通行人はどこかで息を潜めている。僕らが歩く足音と,時折遠くから聞こえるクラクションの音のみが路地に反響する。夫婦も僕も,その静けさを楽しんでいるだろうことは言葉を交わさずともわかる。

 

しばらく歩き回った後,ホステルの前に戻る。我々はもう少し歩くつもりだが,どうするかと聞かれ,明日が早いので部屋に戻ると伝える。good nightと短く言葉を交わし,笑顔で別れた。

 

f:id:umisonodalvar:20180130213918p:plain