キルギスから中国へ~恐怖のイルケシュタム峠越え
(2017年8月の情報です)
キルギスと中国の間に横たわる、天山山脈とパミール高原。どちらも7000メートル級の山々を抱える。
その間にある大渓谷を越えていくのが、イルケシュタム峠の国境。
イルケシュタム峠は渓谷の景色がとてつもなく壮大なので、ぜひ夜行バスではなく昼間の越境がお勧めだが、一方で交通網がないに等しく、個人での国境越えには困難を伴う…
特にカシュガル→オシュの国境越えは体験記がそれなりにあるが、オシュ→カシュガルルートはあまり見つからないので、この記事を参考にしていただければ
下の体験記を読むのがめんどくさい人向けにイルケシュタム峠越えの教訓
・オシュかサリ=タシュからシェアタクで行くのが手っ取り早い
・景色と夜空がきれいなのでサリ=タシュか国境で一泊したほうがよい
・昼休み前に入国審査場にたどり着くのは無理なので焦らず行こう
・ウルグチャットからカシュガルはウルグチャットの市街地まで歩いてシェアタクとか探そう
オシュ→サリ=タシュ間の移動についてはこの記事を参照
以下は体験記。
サリ=タシュの民宿で一夜を過ごし、日の出頃に起床。
なんか起きてたオーナーっぽいおじさんにお金を払い、民宿を後にし、国境につながる道路に向かう。
早朝の、澄み切った空気の静けさと人や動物の活動が始まる微妙な騒がしさの中に、牛があちこちでモーモー鳴く声が響く。おばあさんが石を投げて牛の群れをどこかに移動させている。家畜と生活が密接している、古き良き辺境の田舎である。
サリ=タシュから国境に行く唯一の交通手段は、そう、ヒッチハイクである。
国境に向かうトラックをヒッチハイクして、「載せて」もらうしかない。
国境につながる道路の端に立ち、車が来るのを待つ。
しかし、待てども待てどもトラックは来ない、というか車が全然来ない。稀に来る乗用車も、僕が手を振るのを無情にスルーしていく。
この日は月曜日。イルケシュタム峠の国境は土日には閉鎖されており、後でわかったように月曜には国境にトラックの長蛇の列ができる。
だから、トラックの運転手は月曜朝にのんびり国境に向かうというようなことはせず、前日までに国境に行って順番待ちをするのだと思う。実際に、昨晩の夜中はトラックの走る音が頻繁に聞こえた気がする。
こうなると困った、イルケシュタム峠越えは時間がかかり、今日中にカシュガルにたどり着けないかもしれない。
1時間近く待っただろうか、国境に向かって猛スピードで走ってくる乗用車に手を振ると、奇跡的にその車が停止する。
「Irkeshtam?」と聞くと頷いて「乗れ」とジェスチャーをする。天の助け…!
とりあえず乗り込むと、車が発進する。ヒッチハイク成功かとも思ったが、無料で乗せてくれるなどと甘い話があるとも思えず、とりあえず値段交渉をしてみる。
Iphoneの電卓に適当にはした金額を打ち込んで渡すと、苦い顔をし、200ソムと打ち込んで返してくる。
どうもこの車の本業は乗り合いタクシーのようだ。中国から来た旅行者を待ち構えるため、国境に向かっていたらしい。
200ソムでも日本円だと別に大した金額ではないのだが、相場(ロンリープラネットに書いてある)より高いとしゃくに障るので、頑強に交渉する。あっちも国境まで空気運ぶのはいやだろう、こっちに分がある。
結局相手も面倒くさくなったのか120ソムで行けることになった。キルギスはとても貧しい(一人当たりGDPはアフリカ並み)が、人は優しい。どの国でもぼったくりのプロである乗り合いタクシーの運転手も、キルギスだとなんか甘い気がした。
車は、草原の丘を登ったり下ったりして進んでいく、左側は壮大な赤色の岩山、右側は大山脈。
地球が平らで地の果てというものがあるのだとしたら、こんな感じなんだろうなと窓の外を見ながらぼんやり考える。
1時間ぐらい進むと、先にトラックの大行列が見えてくる。わが車は、その横をスイスイ進んでボーダーにたどり着いた。
かなりの長い列たった、後で地図で測ると6キロはある。大した運賃ではなかったし、トラックだと大行列の手前までしか行かないことを考えるとむしろ乗り合いタクシーを狙ったほうがいいかもしれない。
車を降り、キルギス側の出国審査場へ向かう。ここは、簡単に通過する。
次の中国側の荷物検査場までは5キロぐらいある。事前のネットの情報だと、徒歩の旅行者は職員がトラックにアサインしてくれるとの話だったが、そのようなサービスはなかった。
まあ5キロだしと思い歩こうとすると、後ろから来たトラックが、乗れと言ってくれる。天の助け二回目。
国境の検問前にまたトラックの行列があったので、降りてしばらく徒歩。国境を越え、また別のトラックをヒッチハイクし、中国側の荷物検査場に着く。
事前の情報だと、ここでスマホの中身までチェックされるということだったので、国境近辺の写真(これがまた絶景だった…)はとらなかったのだが、実際にはバックパックの中身をすべて並べて簡単に検査されただけで終わった。拍子抜けである…写真とっとけばよかった
荷物検査を抜け、奥の待合室みたいなところに案内される。この時点でキルギス時間10時半頃。
イルケシュタム国境の恐ろしいところは、この荷物検査場から、パスポートチェックがある入国審査場(ウルグチャット)まで120キロあるということである。しかもその間は、指定の乗り合いバスに乗らなければならないし、その乗り合いバスがまた100元(1600円)と高い。加えてバスは10人乗りなので、10人揃わないと発車しないという。
中国側の入国審査場はキルギス時間14時から2時間の昼休みとなるから、それまでに審査場にたどり着かないと待ちぼうけである。しかし、また、陸路の旅行者というのが全然来ない。おそらく、イルケシュタム峠を陸路で越える地元民たちは、朝にオシュを出て、昼頃国境に到着するというのが基本パターンなので、僕が着くのが早すぎたのである。
暇なので待合室にいた西洋人三人組と話をする。曰く、レース大会に参加するために一か月かけてイギリスから車で来たらしい、これからモンゴルに向かうとのこと。
あわよくばこの人らの車に乗せてもらおうと機会を伺っていたが、どうも車の検査にめちゃくちゃ時間がかかっているらしく、次第にその人たちがイライラし始める。
すると、今度は証明書に不備が発覚したらしく、中国国内のスタッフが新しい証明書を持ってくるまで入国できなくなったらしい。リーダー格の一人が待合室にいた兵士にすごい勢いでブチギレ始めた。「お前の国はおかしい、ヨーロッパではこんなことありえない」と叫んでいる。拘束されないか心配だった。この人らの車に便乗するのは断念する。
12時半ぐらいになって、ようやく乗り合いバスの人数がそろった。しかし、待合室には11人いたようで、バスの運転手のクソじじいが、僕以外の10人をバスに乗せようとする。僕は一番最初に待合室に来たのであり、僕が乗れないのはおかしい。このバスに乗れないとまた何時間も待たされる。だからクソじじいに英語でまくしたてて抗議する。クソじじいはなんだこの基地外はという表情で相手にしてこなかったが、おとなしそうなキルギス人のお姉さんが席を譲ってくれた。とても申し訳なくなったが、そもそもクソじじいが悪いのである。
バスは、キルギス系の人と中国系の人が混在していた。隣の席のおばさんが英語を話せたので会話する。住んでるのはビシュケクで、キルギス語を教えるためにカシュガルに行くらしい。
バスは走る。時たま集落がある、入国審査場より外側に人が住んでいるというのもよくわからない。
2時間ぐらい走って、入国審査場に着く。えー残念ながら、昼休みで門は閉まってました…
門の手前でバスは停車し、そこで延々と昼休みが終わるのを待つ。せめて室内に入れてくれよと思う。
キルギス時間17時になって(3時間近く待ってます!)、ようやく門が開く。室内には入れたが、しかし一向に職員が出てこず入国手続きが始まらない。中国の理不尽にはもういい加減慣れたが、またまたレベルの高い理不尽である。
結局、入国審査を越えたのはキルギス時間18時頃だった。
ここからさらにカシュガル市内まで100キロほどある。交通手段を探さなければならないが、入国審査場の周辺にタクシーの気配はない。乗り合いバスの乗客でカシュガルに行く人もおらず、隣の席だったおばさんはいつの間にかどこかに消えていた。さっきのクソじじいが300元で市内まで行くとなめたことを言ってきたので無視した。
とりあえず市街地まで行き、最悪このよくわからない田舎で泊まりかと思って、てくてく歩いていると、道を走っていた車が突然僕の横に停車して、「乗るか」というジェスチャーをしてくる。なんと、本日三回目の天の助け…
乗客僕一人だと思って30元でいいかというと、えっそんなにもらえるの?って感じの反応を示す。しまった高すぎた…後でわかったことだが、この車は一人10元ぐらいでカシュガル市内へ行くシェアタクシーで、正規の乗客たちを拾いに行く途中で僕を見つけたようだ。この後他の乗客も乗り込んできたのだが、僕が増えたのでめちゃくちゃ窮屈だった。
キルギス時間19時ぐらいにようやくカシュガル市内に着く。なんと宿を出てから12時間かかった。
カシュガルは数年前は頻繁にテロが起きていたが、今は警官が100メートルおき(誇張ではない)に道端に座っているうえ、いろいろ投資されているのか豊かそうで、治安はとてもよさそうだった。街のいたるところに共産党のプロパガンダ広告が貼ってあるのは怖いけどね。